08:忘れられない「忘れてもらえないの歌」の記憶
大千穐楽から1年が経過し、オリックスのDream Pavilionも終了してしまいましたが、佐野晶哉くんが出演した「忘れてもらえないの歌」の感想文を書いておこうと思います。
ちょっとコレはなかなか消化出来なくて長らくロスを引きずっておりました。
既に夏休みの宿題が間に合わなかった小学生の気分です。
ちなみに実は私、この時点でそんなに関ジャニ∞さんをお名前以外はあんまり存じ上げてませんでしたので、失礼な言い方がありましたら、今のうちにお詫び申し上げておきます。
主演は関ジャニ∞の安田章大さん、赤坂ACTシアター(2019年10月15日〜30日)とオリックス劇場(同年11月4日〜10日)両方とも観ることが出来て本当に幸運でした。
そもそも2019年7月8日に佐野くん出演のニュースが飛び込んできた時は、私も目玉が飛び出るかと思うほど驚きました。
https://mdpr.jp/news/detail/1849659
ジャニーズさんに於いてその他大勢のJr.からグループになるってすごい事なんだと改めて認識したわけですが、後に演出の福原充則さんから直接オファーがあったことを知り「さすが先生お目が高い」とか上から目線な事を言ってしまって大変失礼しました(笑)
でもグループになってなかったら目にも止まらなかったと思うし、グループ結成していきなり東京でお披露目して下さった横山さんありがとう。
佐野くんの章で書いたように、彼は関西限定の子役だったので四季の大阪公演以外には出ていない。
ジャニーズに入ってからも関西Jr.は関西限定の仕事しかないのが基本で、よほどの事がないと東京から呼ばれないだろうし、多分入所後の彼にはなかっただろうと思う(そこ曖昧ですごめんなさい)
ライオンキングの時に「他の地方の四季オタさんにもこのヤングシンバを見てもらいたい」と思ってた。
それが形は(大きく)違うが実現することにちょっと興奮してた。
やっと関西圏以外の方に見て頂ける、しかも東京で、赤坂ACTシアターでってすごいじゃないか。
関ジャニ∞さんが主役ならお客様も間違いなくいっぱい入りそうだしなぁ!!(この時点ではチケット難は全然考えてない)
しかし新作の書き下ろしという事だし、ミュージカルではなく音楽劇だし、私ももう最後に佐野くんの演技を観てから5年以上経っている。ちょっとハラハラしていたんですが、初日から回ってくるレポも好感度が高く、自分の観劇日を楽しみにしていました。
佐野くんのことはとりあえず置いといて(コラ)「忘れてもらえないの歌」はとても面白い舞台でした。正直言って明るい話ではない。むしろ「なんでこうなるんだ」と唸りたくなるほど、良いことがあったと思ったら次から次へと危機が襲ってきます。
しかも戦争を挟む20年ほどの長い期間をコンパクトに伝えるためにシーンを畳み掛けていく。必然的にセリフ量も多くなるのでしっかりつかまってないと話の展開に振り落とされそうだ。
時代背景的には今や誰もリアルタイムを知らないだろうけど、ストーリー的には戦前戦後のエンタメ史をちょっとわかっていたりすると8割ぐらい展開は理解できるのですが、その上に安田さん演じる滝野亘(たきの・わたる)や他の人物の人生が乗ってくる事で別の視点から視るという構成で、私はストーリー自体がジャズのアドリブのようだと思いました。
ある時は元の仲間から新人歌手の新曲の注文を受け、散り散りになっていたバンド仲間が集まって昔のように音楽の話をしてとても幸せそうに新しい曲が出来る。
しかし観ている私たちはその歌手が坂本九さんで、発売されるのは不朽の名作「上を向いて歩こう」であることがわかっていて、その曲は日の目を見ず元仲間から騙されていることを察しながら見ているわけです。
初めから終わりまで殆どこういう図式です。めっちゃ乾いてます。男女関係すら乾いてます。もーパッサパサです(笑)。よく考えたら怖い。観客は神の視点で舞台を観ているようで、脚本家に踊らされている。
ここで安田章大さんという人の持つキャラクターが大変意味を持つのだと思います。
正直言ってファンの方たちは滝野の人生を見てどう思われたのでしょうか。もう辛くて見てられなかったんじゃないかなあ。どういう脚本だ、ファンを泣かすのが目的か⁇とか思わなくもなかったのですが、むしろ安田さんの存在が物語を単純な御涙頂戴にしなかったと感じました。
独特な個性だが匂いがしない。水のように形を変えて流れていく。物語は乾いているけどなんだか瑞々しい。
全く湿っぽくない。
サラサラと。しみじみと。
果てしなく残念な人々の物語ではあるのですが、彼が主軸となることで、観終わった後むしろ清涼感がある。
面白い役者だなぁ。舞台向いてるな。
最初は滝野という男の真意の掴み所がなくてどこに着地点を置くのだろうと思って観てたのですが、場面を重ねて行くうちに安田さんは滝野の時間と心境の変化をそれは大事に演じているのだなと思うようになりました。
滝野の歌も心を打つんだけど、確かにこれでヒット曲を出せるほど上手いか?と言われると正直迷うところではありますが、たぶん本当の安田さんはもっと歌えると思います。
手を抜いてるわけではないのです。これはあくまで「忘れてもらえない歌の滝野」という役の、歌というより芝居なので「すごく良いんだけど何かちょっと惜しいんだよなあ」感があって正解なのです。
登場人物全員がそういう「ちょっと残念」でも、ここまで観てきて共に彼らの人生に寄り添っているので、観ているこっちが「何とかしてやりたい…」「でもこれはどうにもならない」と逡巡してしまう魔法にかかってると思う。
普段はミュージカルしか観てなくて、ミュージカルって上質な音楽性に救われてるところはあるけれど、救いようのない物語も多々あります。特にレミゼとかミス・サイゴンなどは帰り道「生きるってなんだろう…」などと難しい顔しながら感情を引きずったりするんですが(それでいてなぜ何度も観るんだ←そこに再演があるからだ)、ストプレだと入り込んでしまってキツいので観るのすら拒否しがちです。
でも、こういうのならストプレも観ておくもんだなあ。
時代背景や心情に合わせた当時の音楽のカバーもオリジナル楽曲も使い方が秀逸だったと思う。
キャストと脚本がタッグを組むってこういうことなんだろうな。オリジナル脚本の醍醐味だ。
滝野を始め東京ワンダフルフライのメンバーがバンドを始めたきっかけも、やろうとした事も、今や成功を収めたミュージシャン達にもやってきた人がいたわけで、きっと他にも大勢いたんだろうけど、殆どの人はちょっとのことで成し得ずに歴史に埋もれて消えていったのだろう。これはそういう埋もれていったその他大勢の人たちの物語なわけで、華々しいサクセスストーリーではないけど「そういうことってあるよね。」と痛々しくも懐かしい思い出を掘り起こされてしまって一応大人である私はそんなちょっと残念で愛すべきその他大勢に郷愁に似た愛着を感じたりしました。
あれからたまに関ジャニ∞さんのCD買って聴いたりTVや配信で見たりしてたんですが、先日関ジャムで披露した「さよならエレジー」を聴いてちゃんとブログが書けると思いました。この楽曲が個人的にとても好きというのもあるんですが石崎ひゅーいさんとのコラボが素晴らしく、やっと安田さん本人のスター性に触れたような気がします。そしてやっと「滝野の歌」を消化出来た気がしました。
なんか佐野くんが安田さんで持ちきりなのわかるような気がする。いい男だなあ。私も好きだよ←どさくさ
さて、佐野くんですが。←やっとかよ
メインの役どころは川崎大(かわさき・まさる)というおそらく戦災孤児です。多分10〜25歳くらいまでを演じています。流石に10歳は苦しいんだけど、そこは置いとこう。
おそらく多分ばっかり言ってるのは当時何歳なのかという説明はされないので、背景に映し出される年号と時代背景に照らし合わせて推察するしかないのよ(笑)
大は生き方の不器用な登場人物の中では際立って世渡り上手で思い切った少年で、戦後の混乱から唯一のし上がって行くキャラクターであり、場面を追うごとに他の人とは明らかに違うサクセスストーリーを体現する役回りを持っている。そうすることで時流に乗った者と逆向した者の対比をより際立たせ、光と陰をくっきりとさせる狙いなんじゃないかな、と思いました。
やや安易に思われるが、これに説得力を持たすためキャスティングが結構難しかったんじゃないだろうか。
第一稿の設定がどうなってたかわからないんだけど、もうちょっと年齢層が上の役者でも成り立ったと思うのね。
でも戦後の復興を過ぎた隆盛を担う世代を象徴させるには若さが必要だったんじゃないだろうか。
レポでも既に流れてきたけれど、初回観劇で「こんな重要な役回りを任されたのか…!」と慌てました。
正直言って観るまで子役扱いだと思ってました。12、3歳を超えてて舞台で実年齢の子を使うことはあまりないので(あっても主役の少年時代とか)これだけ幅広い年齢を17歳にやらせてくれたことは本当に挑戦的なことだし、この役を与えてくださったことは心から感謝しています。
もう一つ良かったことは川崎大というメインキャスト以外に様々なアンサンブルを経験させてもらえたこと。
単純に出番が増えたということもあるけど、通常一度メインキャスト(プリンシパルクラス)に名を連ねると今後どんどん重要な役を任されるようになります。そうすると当然アンサンブルをやることが減ってくるんですが、実は舞台に於いてアンサンブルの質の高さって大事だと思うのです。
アンサンブル上手い人はプリンシパルになってからも絶対に上手い。
プリンシパルが出番以外にアンサンブルをやる事を「バイト」って言うんですが、エリザベートのルドルフ役にもレミゼラブルのマリウスその他キャストにもバイトがあるのは有名ですが、子役ではあまり見たことがありませんし、SOMのクルトやLKのシンバにはバイトはなく、これが初バイトって事になるのかな。
関ジュの「少年たち」は見ていないので、どんな感じだったかわからないのですが。
アンサンブルをやると舞台全体の流れも掴みやすいし、一つでも多く経験に触れられる事は素晴らしいことだと思います。
この物語の登場人物はいずれも乾いた人生観を生きてますが、大もまたパッサパサです。一見あどけない少年の姿をしている事が余計にタチが悪い。
でも彼だけどんな手を使っても生き抜く事に迷いがなく罪悪感もない。
ちょっとだけ生きることが器用で、ちょっとだけ(?)悪ガキで、東京ワンダフルフライに何となく潜り込み見よう見まねでドラムを覚えて、最初のドラマーが抜けた後も居座り続け(言い方)バンドが空中分解した後どういう経緯を辿ったのかわかりませんが、最初に抜けた前任者のドラマーと手を組んでロカビリーブームに乗りスターダムにのし上がります。
音楽から離れ久々に集まった仲間の元に華やかに登場するシーンは一つの山場であり佐野くんにとって最大の見せ場ですが、欲を言えばもっと派手さが出たら良かったんじゃないかなって思います。そうすると元メンバーとの境遇との差がもっと出たと思うから。
芸達者なメインキャストの皆さんにちょっと引き摺られたかもしれない。
もうハンパなくパッサパ(以下略)
ここからはあくまで個人的な解釈ですけど、大はこのあとどうなったんだろうと考えてたんですが、もしここで有無を言わさないスターオーラ出していたら、大はそのまま芸能界の大御所になっていたでしょう。
でもロカビリーブームというのはそんなに長い間続かなかったはずで、ブームが終わった後はそこにも淘汰がありました。
ブームの終焉で大のメッキが剥がれて売れなくなっていたら、滝野たちと同じ末路を辿ったのだろうか。
…そんな事はないかもね。大のことだからとっとと芸能界に見切りつけて例えば酒屋になってスーパーマーケットに成長させちゃったりとか、逞しく生きてそう(笑)
一見エセのスター風というのも、コレはコレで解釈としてはアリなのか。
自身での役作りや演出意図がどうなっていたかは結局よくわからないままで、自担贔屓みたいになっちゃうかもしれないんですが純粋に観劇して、やっぱりすごく上手い子だと思いました。
このメンバーの中で決して埋もれていないけど、悪目立ちもしていない。動きも台詞もきちんと処理されているし、まだちょっと幼いけど、いい呼吸であの世界観を生きていた。
途中まで、実はこの役を最後の子役として観るか、初めての本役として観るか迷っていたのですが、最終的に最後の子役として観る事にしました。
同時に大人の役としての入り口でもあるのですが。
これで本当に子役の時代は終わり。
子役としての最後が、この「忘れてもらえないの歌」で本当に良かった。
本業はあくまでジャニーズだから、本当に色んな仕事をするし、まだ学生でもあるので、こういう機会が次はいつ回って来るかわからないけど、その時は本当の大人の役者として舞台の臨まないといけなくなるのです。
それでもこの経験がその後1年のグループ活動に良い影響を与えたな、と思います。
あれからコロナ禍で春夏松竹も無くなり、テレビ番組の内容も大きく様変わりして一体どうなるんだろうかと見守っていたのですが、なんか図太く根を広げ、むしろどんどん輝いてきている。
11月、折しも「忘れてもらえないの歌」を観たオリックス劇場で久しぶりにAぇ! groupのライブに行ってきました。
去年よりグループとして一つ大きくなりましたね。
ああ、これがあのシーンで出ていたら、きっとまた違った印象の芝居になったんだろうなって顔が綻びました。
佐野くんも身体の成長もそろそろ終わり、人間的にも成熟して芸に豊かさや色気が加わってくれば、アイドルやっても舞台に出ても、厚みのあるパフォーマンスができるようになるだろう。
いつかまた舞台に立つ姿を観たい。
でもまだ18歳かあ…先は長いな…
それまで長生きしなくちゃね(笑)